私のこと〜地方で育つ人への興味〜
こんにちは。0〜6歳向けに生きる力をつける幼児教室kids baseの開室準備をしている小柳なつみです。
なぜ生きる力をつける幼児教室を始めようとしているのかを過去の経験を紹介しながら綴っているシリーズ。
前回の話はこちら↓
今回は、就職して気づいた地方で育つ人への興味の話。
大学時代、部活のラクロスばかりに精を出してた私はバイトや企業研究もろくにやらないうちにあっという間に就活の時期を迎えた。
興味のわく「生きる力」を身につける教育というものが相変わらず何かわからなかったし、ゆえに企業も選べない。働くということがどういうことなのかもよくわからない。
そんな状態だから就活にも全く身が入らず、何十社もエントリーを出すような器用さも管理能力もなく、結局会った人が面白かったり企業理念が素敵だと思う会社を数社絞って受けた。
最終的に、運よく受かった総合商社に入社することにした。会社を選んだ一番の理由は、就職人気ランキングでいつも上位になる会社は何がそんなにいいのかということと、そこで働いている人たちって一体どういう人種なのだろうか、どんな環境で育ってきたのかということに興味が湧いたからだ。
入社してみると今まで会ったことないレベルの優秀な人ばかりで、天は二物を与えずということわざは嘘だと思った。
鉄鋼製品を取り扱う本部に配属され仕事はそれなりに頑張ったが、いつも頭の片隅に教育のことが残っていた。
会社には教育事業をやっている本部もあったので、そこの人に話しを聞いてみたりもしたが、当時は海外への投資やインターナショナルスクールに関わる事業をやっていて、何か自分のやりたいことと違う気がした。
その違和感を掘り下げるうち、自分は過去の自分のような人に関わりたいのだと気がついた。日本の地方の何もないところで生まれ、社会や働く大人を知ることや教育の機会が限定されているような人。
大学や就職先で感じた、都市で育った人たちとの幼少期から始まっている選択肢の差。
ここに何かアプローチしたい。
機会が限定されているところで育つことが何かプラスになるような、それが将来の「生きる力」につながるようなことがしたい。
そんな時たまたま長野に住む人と結婚することになり、自分でも想像していなかったタイミングで長野に戻ることになったのである。
つづく
私のこと〜高校時代の夢〜
こんにちは。
0~6歳向けに生きる力をつける幼児教室kids baseを開室準備している小柳なつみです。
今回から複数回に分けてなぜ幼児教育を始めようとしているのか、自分の過去を紹介しながら書いていきます。
遡ること十数年前、高校生の私。
もともと小学生の頃から高1までは数学の先生になりたいと思っていた。
しかし高1の時、2年から文系・理系でコースが分かれる学校で選択をしなければいけないところで、当時部活に命をかけていた私は理系は放課後に食い込む授業が多く部活参加に支障が出るという理由で文系を選択。
(余談だが県内で1、2を争う強豪校で、厳しすぎる監督の文字通り身体に痛い指導も当たり前の日々。当時受けた痛い指導が原因で今も顎関節症とお付き合い。監督は嫌いであるが恨んではいない。この話はまた別の機会に。)
そこで数学の教師になる夢は途絶えた。
しかし教員になることには未練があったため、大学も教育学部に進み国語の教員免許を取得。
ただ、大学で勉強をしながら自分が国語とか数学とか理科とかいう科目を教えることに興味がないことに気がつく。
何に興味があるのかを深掘りしていった時、行き着いたのが「生きる力」だった。
この雑然とした抽象的な言葉。
しかしこれが一番しっくりきた。
ただ、「生きる力」って何?
どうやったら身につくの?
どの仕事だとこれができるの?
疑問符しか浮かばなかった。
そのまま大学3年になり就活の時期を迎え、就職先に総合商社を選ぶ。
つづく
昨日の失敗と反省〜人の土俵に入って勝手に審判すること〜
こんにちは。
長野で0~6歳向けに生きる力をつける幼児教室kids baseの開室準備をしている小柳なつみです。
最近、自分の教室開設に向け様々なイベントや講座に参加している。
今まで存在を知っていたがなんとなく敬遠していたようなところにも積極的に行っている。
敬遠している理由は、活動を見ていて
「自分だったらこうするのになぁ」
とか
「本人たちは楽しそうだけど、仲間には入りたくないなぁ」
とか思うことが多かったからだ。
しかし、敬遠しながらも何か気になることがあったり、自分で活動を広げている様子はとても参考になる。
そんな感じで、よく知らない中で色々批判的な感情抱いていないで、ちゃんと自分で体験しようと思って飛び込んでみている。
先日もそんな感じで飛び込んだとあるイベント。
代表の方と話す機会があったのだが、私は自分が何をしている人なのかという紹介もせず軽い挨拶をするやいなや次々に質問した。
代表の方はそれにどんどん答えてくれたのだが、その答えにさらに色々突っ込みを入れた。
元々のネガティブな印象は覆されず、むしろどんどん深くなっていく。
話終わった後のあの不快感。
しかし、もっと不快な想いをしたのはあちらの方だろう。
突然現れて自分は何者かも名乗らず、意図のわからない質問を矢継ぎ早にしてくる人。
逆の立場だったらと考えると、本当に最低だったと思う。
学んだのは、無意識のうちに人を裁くような見方をしていたということ。
愛情のないアドバイスはただの自己顕示欲の塊かマスターベーションでしかない。
そもそも向こうにアドバイスを求められた訳ではないのに。
猛省m(_ _)m
今後自分が事業をしていく上で逆の立場になる経験をした時、ほんの少しはガンガン
冷たい質問を投げてくる人の気持ちを汲めるかな。
相手がどう受け取ったかはわからないが、もしかしたら全く気にしてないかもしれないが、とにかく自分は後味が最悪に悪かったということ。
思っていることを伝えるときと伝えないとき。
特にそれが耳障りのいいものではないときにどういうスタンスをとるか。
自分の中のルールがまだ定まらない。
「がんばる」詐欺
こんにちは。
0~6歳向けに生きる力をつける幼児教室kids baseの開室準備をしている小柳なつみです。
開業準備を始めたのは今月頭から。
ずっとやりたいと思っていた幼児教育。
しかし具体的に何をやったらいいのか、どうしたら事業として回っていくのか、他にやり方はないのかなど、とにかく全てがわからなくて、漠然と想いを抱いてから時が立つこと数年。
いよいよ、このままいても状況が変わることはないし、この想いを実現せずに死を迎えたら絶対に後悔すると思い本当に何も決まっていないなか、これまでの仕事を一部だけ残し、幼児教育事業は独立してやることにしました。
そんなこんなで具体的な作業がわかりやすい開業届けの提出と口座の開設だけは済ませ、どうやって事業の形を作っていくかを探り続ける日々。
口癖は「がんばる」
自分に気合いを入れる言葉は「がんばる」
アドバイスをもらった人への返答は「がんばります」
相変わらず何から始めたらいいかわからず手探りな私に夫は、
「がんばるがんばるって、この間も同じこと言ってたよ。」
「外に発信してないんだから何もやってないのと同じでしょ。無だよ、無。」
「金ないなら借りろ。」
ぐうの音もでねぇ…
がんばる詐欺の汚名を返上したい。
がんばる。
冬に手放せぬトタン湯たんぽ
こんにちは。
0~6歳向けに生きる力とつける幼児教室kids baseの開室準備をしている小柳なつみです。
私は長野県に住んでいるのですが、冬はとにかく寒い。
日常で最も寒さを感じるのは寝るとき、起きるときです。
寝る少し前に寝室の暖房をつけますが、デロンギを使っているためそんなにすぐには温かくなりません。(だったらもっと早くつけに行けばいいんだけど、それができない体たらく)
寝たあとは、私より遅い旦那が寝る時に電源を切るので朝起きた時部屋はひんやり。(タイマー使えばいいんだけど、それをしない体たらく)
そして寝起き以外に、そもそもお布団に入った時のあのひんやりとした感じ。
長野(もしくは東信地区だけ)では電気毛布を使っている家庭も多いみたいですが、私の家にはその習慣が昔からなかったため、今もなんだか馴染みません。
そんな私の睡眠のお供は、トタン湯たんぽ。
直火にかけられるタイプなので、中身の入れ替えもなくコンロかストーブに置いて沸かすだけ。
↑この石油ストーブもお気に入り。しかし灯油の消費量は恐ろしい。
トタンの湯たんぽはさびが気になるという意見もあるが、私は中身を一冬中入れ替えないので気になったことがない。
お湯が沸いたら袋に入れてお布団にセットする。
セットした日は少し熱いくらいだが、その湯たんぽの周辺でちょうどいい温度のところに足を置いて寝ると、最高に心地良い。
そしてトタン湯たんぽのすごいところはその保温性の高さ。これが私が最も気に入っているところでもある。
翌日寝る頃にもきちんと温かく、しかもそれがずっと足を置いておきたくなるちょうどいいぬくぬく感なのだ。
本当にたまらない。
先週別の場所でプラスティックの湯たんぽを使う機会があり、朝起きた時に既に冷めていたので、改めてトタン性の威力を知った。
中身の入った湯たんぽは重いし寝室まで取りにくのも面倒くさいし、毎日やるには億劫だけど、保温性のおかげで2日に一回に出し入れするだけなのもなんか嬉しい。
ちなみに日本に湯たんぽが登場したのは室町時代、金属製の誕生は大正時代以降なんだとか。
歴史を感じる。
それを知った日から見るたび何だか湯たんぽに凄まれている気がしている。
気安く足とかのせんじゃねぇよ、みたいな。
ごめん。
幼児教育を通じて実現したい未来
こんにちは。
0~6歳向けに生きる力をつける幼児教室kids baseを準備中の小柳なつみです。
昨日一昨日とNHKで戦時中満州で生活していた方々の人生を描いた番組を見た。
父親が突然連行されていく恐怖
引き揚げ船の中で亡くなる家族をただただ見ているしかない無力感
帰国後に身寄りもなく15歳で妹を養っていく決意
見ているのが本当に苦しかった。想像さえできない非常に過酷な状況を生き抜いた人々。今の世界を見てどう思うのか。
毎晩娘を寝かしつけるとき、なんて平和で幸せな時間だろうと思う。
安全な場所で温かい布団に包まって、体をくっつけてニコニコしながら寝る。
寝ている顔を見ながら私もホッとする。
そんな日常は、過酷な歴史を生き抜いてきた祖先の延長に成り立っている。
さらに今なお世界で、日本で、この寝る前のホッとする時間を過ごせない親と子どもがたくさんいる。
一人でも多くの親が、子どもが、安全な場所で温かい布団に包まって幸せな時間を過ごせるように、自分がこれからやろうとする幼児教育で実現したいことだ。
自分の才能を開花させる子を多く輩出して、その子自身が幸せな時間を過ごせるように。
その子が日本や世界の問題に挑戦して少しでも世の中が平和に向かうように。
自分の確立した幼児教育が日本や世界で十分な教育が受けられない状況にある乳幼児に提供できるように。
今はまだ絵空事のようだが、必ずそこまでたどり着く。