見ず知らずの男性の股間を目の当たりにしたとき
こんにちは。
0〜6歳向けに生きる力をつける幼児教室kids baseの開室準備をしている小柳なつみです。
今日は旦那が用事のある場所についていき、終わるのを待つ間私は近くにあった温泉に向かった。
久しぶりの温泉だし、娘はおばあちゃん家にいるためゆっくり入れるしでウキウキしながら入り口をくぐり受付へ。
受付付近はかなり閑散としていた。
人が少ないから静かにゆっくり入れそうでいいな、露天風呂貸切で使えるかな、なんて相変わらず前向きだったのだが、受付の女性から、内風呂、露天風呂、展望風呂の3つのうち、露天風呂と展望風呂はこの時間混浴だと伝えられた。
混浴...
たじろいだ。
一体どんな様子なのか、まずは露天風呂をのぞきに行った。
どこで服を脱ぐのかわからず案内のまま進むと突然露天風呂の入り口が現われた。
恐る恐る開けてみると、おじさんが一人いる。
うーむ、やっぱりなんとなく気が休まらなそうだ。
展望風呂はどうかとのぞきにいくと、入り口を入ったところに脱衣所があった。
なんと、脱衣所から男女共用だった。
戸惑って立ち尽くす私の後ろから一人の男性が入ってきた。
「あれ、お姉さんここ初めて?それはびっくりするよね〜。もし着替えるの恥ずかしかったらトイレで着替えてくるといいよ。」
そういい終わらないうちに、男性は何事もないかのようにベルトを外し、ズボンと一緒にトランクスを脱いだ。
目の前に下半身裸の男性が立っていた。
「そうですねー。ちょっと内風呂も様子見てこようかなぁ。」
そういって脱衣所を出た。
ものすごい不快感に襲われた。
見ず知らずの男性の股間を目の当たりにすることがこんなにも不快だということを初めて知った。
しかし、こんなに不快に思うことが少し不思議だったりもする。
なぜこんなに不快になるのだろうか。
一つ思い当たるのは、多分彼の股間が普通の状態ではなく元気のいい状態だったからなのかもしれない。
本能的に身の危険を感じて、それが不快感につながったような気もしなくもない。
そういえば、昔テレビでどこかの股間を隠さない民族の映像を見たことがあるが、そのときは特になんとも思わなかった。
男性の股間が普通の状態だったら、なんかもう少しは受け入れられたかもしれない。
露天風呂に入れなかった上にそんなことがあってちょっと残念だったが、不快感と引き換えにブログに書く題材を提供してもらったということで納得することにした。
そんな日曜日。
東京センチメンタル
こんにちは。
0〜6歳向けに生きる力をつける幼児教室kids baseを開室準備している小柳なつみです。
今日は用事があって東京へ。
学生時代に毎日通った高田馬場で用事だったが、馬場に行ったのは大学卒業以来だったので実に5年ぶり。
街を歩いていると当時の思い出が次から次へと湧きあがり、目的地に到着する頃にはものすごくセンチメンタルに。
変わらずそこにある場所って貴重だなぁと思った。そういう場所があることは一つの豊かさだなぁとも。
もう一つ、東京でセンチメンタルになる場所は丸の内。
新卒で入社した会社は大手町にあり、東京駅から会社までいくのに毎日通っていた丸の内界隈。
そういえば、毎日毎日空を見上げて、
「長野は晴れかなー。広い空がみたいなー。」
と、丸の内の立派なビルの間を歩きながら思っていた。
(前方不注意で人にぶつかることももちろんある。)
今新幹線でこの文章を書いていたらまたセンチメンタルになり、気づいたら目を細め口はタコのように突き出した形に。
すると停車駅で乗ってきた若者2人が前方から、私の座ってる席が空いていると思ったらしく意気込んで向かってきて、私の存在に気づくやいなやびっくりしたあと、笑いながら去って行った。
自意識過剰か。
いや、わらった。
彼らは確実にわらった。
私の顔を見て。
恥ずかしい。
自分の「好き」を表明すること
こんにちは。
0~6歳向けに生きる力をつける幼児教室kids baseの開室準備をしている小柳なつみです。
今朝こんな記事を読んだ。
幼児教室を準備する中で、ほんの少しずつでも思うことや考えることを発信してみて感じるのは、自分の「好き」や「想い」を表明することが、一方でそこに当てはまらないものやことを否定しているように見えるということ。
そんなつもりがなくても、そう捉えられてしまうリスクがあるということ。
そのリスクをこれまで極力避けてきた気がする。
リスクを取らない方が心地良かったとも言える。
やりたいことの実現を考えたら些細なことだけど、そういう些細なことを乗り越えるのにいちいち気合いを入れる毎日。
一日のやることも過ごし方も自分で決められる毎日は自由だけど、同時に全部自分で決めなければいけないことに面倒臭さを感じる時もある。
どの銀行の口座を開設するかとかどこのブログサービスを利用するかとか、なんでもいいから誰か決めてよ、と思うこともたくさんある。
自分の「好き」を可視化することと、やることすべて自分で決められる「自由」な毎日について、楽しさと煩わしさを同じくらい感じている毎日。
私のこと〜地方で育つ人への興味〜
こんにちは。0〜6歳向けに生きる力をつける幼児教室kids baseの開室準備をしている小柳なつみです。
なぜ生きる力をつける幼児教室を始めようとしているのかを過去の経験を紹介しながら綴っているシリーズ。
前回の話はこちら↓
今回は、就職して気づいた地方で育つ人への興味の話。
大学時代、部活のラクロスばかりに精を出してた私はバイトや企業研究もろくにやらないうちにあっという間に就活の時期を迎えた。
興味のわく「生きる力」を身につける教育というものが相変わらず何かわからなかったし、ゆえに企業も選べない。働くということがどういうことなのかもよくわからない。
そんな状態だから就活にも全く身が入らず、何十社もエントリーを出すような器用さも管理能力もなく、結局会った人が面白かったり企業理念が素敵だと思う会社を数社絞って受けた。
最終的に、運よく受かった総合商社に入社することにした。会社を選んだ一番の理由は、就職人気ランキングでいつも上位になる会社は何がそんなにいいのかということと、そこで働いている人たちって一体どういう人種なのだろうか、どんな環境で育ってきたのかということに興味が湧いたからだ。
入社してみると今まで会ったことないレベルの優秀な人ばかりで、天は二物を与えずということわざは嘘だと思った。
鉄鋼製品を取り扱う本部に配属され仕事はそれなりに頑張ったが、いつも頭の片隅に教育のことが残っていた。
会社には教育事業をやっている本部もあったので、そこの人に話しを聞いてみたりもしたが、当時は海外への投資やインターナショナルスクールに関わる事業をやっていて、何か自分のやりたいことと違う気がした。
その違和感を掘り下げるうち、自分は過去の自分のような人に関わりたいのだと気がついた。日本の地方の何もないところで生まれ、社会や働く大人を知ることや教育の機会が限定されているような人。
大学や就職先で感じた、都市で育った人たちとの幼少期から始まっている選択肢の差。
ここに何かアプローチしたい。
機会が限定されているところで育つことが何かプラスになるような、それが将来の「生きる力」につながるようなことがしたい。
そんな時たまたま長野に住む人と結婚することになり、自分でも想像していなかったタイミングで長野に戻ることになったのである。
つづく
私のこと〜高校時代の夢〜
こんにちは。
0~6歳向けに生きる力をつける幼児教室kids baseを開室準備している小柳なつみです。
今回から複数回に分けてなぜ幼児教育を始めようとしているのか、自分の過去を紹介しながら書いていきます。
遡ること十数年前、高校生の私。
もともと小学生の頃から高1までは数学の先生になりたいと思っていた。
しかし高1の時、2年から文系・理系でコースが分かれる学校で選択をしなければいけないところで、当時部活に命をかけていた私は理系は放課後に食い込む授業が多く部活参加に支障が出るという理由で文系を選択。
(余談だが県内で1、2を争う強豪校で、厳しすぎる監督の文字通り身体に痛い指導も当たり前の日々。当時受けた痛い指導が原因で今も顎関節症とお付き合い。監督は嫌いであるが恨んではいない。この話はまた別の機会に。)
そこで数学の教師になる夢は途絶えた。
しかし教員になることには未練があったため、大学も教育学部に進み国語の教員免許を取得。
ただ、大学で勉強をしながら自分が国語とか数学とか理科とかいう科目を教えることに興味がないことに気がつく。
何に興味があるのかを深掘りしていった時、行き着いたのが「生きる力」だった。
この雑然とした抽象的な言葉。
しかしこれが一番しっくりきた。
ただ、「生きる力」って何?
どうやったら身につくの?
どの仕事だとこれができるの?
疑問符しか浮かばなかった。
そのまま大学3年になり就活の時期を迎え、就職先に総合商社を選ぶ。
つづく
昨日の失敗と反省〜人の土俵に入って勝手に審判すること〜
こんにちは。
長野で0~6歳向けに生きる力をつける幼児教室kids baseの開室準備をしている小柳なつみです。
最近、自分の教室開設に向け様々なイベントや講座に参加している。
今まで存在を知っていたがなんとなく敬遠していたようなところにも積極的に行っている。
敬遠している理由は、活動を見ていて
「自分だったらこうするのになぁ」
とか
「本人たちは楽しそうだけど、仲間には入りたくないなぁ」
とか思うことが多かったからだ。
しかし、敬遠しながらも何か気になることがあったり、自分で活動を広げている様子はとても参考になる。
そんな感じで、よく知らない中で色々批判的な感情抱いていないで、ちゃんと自分で体験しようと思って飛び込んでみている。
先日もそんな感じで飛び込んだとあるイベント。
代表の方と話す機会があったのだが、私は自分が何をしている人なのかという紹介もせず軽い挨拶をするやいなや次々に質問した。
代表の方はそれにどんどん答えてくれたのだが、その答えにさらに色々突っ込みを入れた。
元々のネガティブな印象は覆されず、むしろどんどん深くなっていく。
話終わった後のあの不快感。
しかし、もっと不快な想いをしたのはあちらの方だろう。
突然現れて自分は何者かも名乗らず、意図のわからない質問を矢継ぎ早にしてくる人。
逆の立場だったらと考えると、本当に最低だったと思う。
学んだのは、無意識のうちに人を裁くような見方をしていたということ。
愛情のないアドバイスはただの自己顕示欲の塊かマスターベーションでしかない。
そもそも向こうにアドバイスを求められた訳ではないのに。
猛省m(_ _)m
今後自分が事業をしていく上で逆の立場になる経験をした時、ほんの少しはガンガン
冷たい質問を投げてくる人の気持ちを汲めるかな。
相手がどう受け取ったかはわからないが、もしかしたら全く気にしてないかもしれないが、とにかく自分は後味が最悪に悪かったということ。
思っていることを伝えるときと伝えないとき。
特にそれが耳障りのいいものではないときにどういうスタンスをとるか。
自分の中のルールがまだ定まらない。