「一生懸命」は美しい。

こんにちは。「生きる力」をつける幼児教室の開室準備をしている小柳なつみです。

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今週2回地元でやっているチアリーディング教室の見学に行ってきた。

1回目は小学生以下のクラスの練習。

2回目は小学生から中学生を含めた混合クラスの練習。

特に混合クラスは近々発表会を控えていることもあり、

練習場に入った直後からコーチや生徒の緊張感が伝わってきた。

 

私はこれまでバスケットとラクロスをやってきたが、

年齢の混合はせいぜい上下3世代まで。

しかし今回見学したチアのチームは

小学生から中学生までが混合になっていて、

それがすごく新鮮だった。

しかもその状態で一つのものを作り上げるために

息やタイミングを全員で合わせなければならない。

 

高いリフトや人が上から下へ落ちてくる演技もあり

(表現方法はともかく)

常に危険と隣合わせだ。

さらにそれを必死さを出してやっていたのでは

みている人に伝わらない。

仮に辛かったとしても、魅せる競技ゆえ

とにかく楽しくやる必要があるのだ。

 

あんなに危険で連帯責任が強くて

プレッシャーがかかるものを

ひたすら楽しそうに(楽しく)こなす。

「なんと恐ろしい競技なんだ」

というのが率直な感想だった。

 

しかし、その感想を上回る分だけ

「一生懸命」は美しい

と思った。

 

「一生懸命」は

物事を命がけですること(広辞苑

という意味だが、

この言葉が大げさでないくらい

命がけに見えた。

(事実危険度合いを考えたら毎回命がけだろう)

 

演技をしている生徒同士はもちろん

コーチやスタッフも「一生懸命」だ。

 

私は準備している幼児教室を通じて

すべての子供に豊かな子供時代を

という自分の想いを形にしたいと思っている。

 

すべての子供が対象だから、

もちろん地域も国も関係ない。

その時その時で自分ができることをしていって、

その想いを具体的な形に広げていきたい。

 

しかしそう考えながら、

さて今から自分がやろうとしていることで

それが実現できるのか

これがベストなのか

といつも考える。

 

そんな時今回の体験を経て、

目の前の生徒に

目の前の出来事に

「一生懸命」対峙することが

結果自分も生徒も、その周辺の人も豊かにするんだと

一つ学んだ。

 

手段はもちろん大事だが、

手段はそこそこのものでも

そこに対峙する姿勢で

自分も子供も豊かになるということだ。

 

そんなことを考えた矢先に

ジャパネットたかた高田明さん著

伝えることから始めよう

を読んだらこんなことが書かれていた。

 

私は本を読むときには必ずラインマーカーを持って、忘れたくないと思うところには、線を引くことにしています。もしよければ、皆さんも、ぜひ、ここに線を引いてみてください。いいですか。

今を生きる。過去にとらわれない。未来に翻弄されない。

これが本当に大切なことだと思うのです。

 

つまりですね、皆さん。私が何をお伝えしたいのかと言うと、目の前のことを一生懸命にやっていれば、自然と次の課題が見えてくる、ということなんです。次に何をすればいいか見えないということは、まだ一生懸命じゃないのかもしれません。

 

さすが伝えるプロ。

この語りかけ調の文体に完全に飲み込まれた。

 

何か方法とか手段にとらわれている自分に

気がついた日でもあった。

 

皆さん。

いいですか。

 

この語り口を習得して

高田さんに一歩近づきたい。