わたしが子どもをもった理由

こんにちは。

少子化の問題や保育園の待機児童問題、女性の社会進出、養子縁組、2分の1成人式の是非、虐待。

子どもや家族に関わるニュースをみたり、自分も日常で子どもと夫と家族として生活したりしながら、家族という組織や子どもを持つということについて色々と考えることがある。

そんな中、たまたま書店で見つけ読んだ本。

kanki-pub.co.jp

 

私は今のところ一人子どもを持つ人生を送っているが、

子どもがいるいない、

結婚しているしていない、

親子に血縁関係があるない、

ということが、

「朝はパン派?ごはん派?あっ、ごはん派ね。」

というくらい、

好みというかいい意味で取るに足らないことというか、

そんな感覚で捉えられる社会がいいなと思う。

 

本の中で最も印象的だった部分は、

「なぜ子どもをもちたいのか」

という問いだった。

 

 

子どもは可愛いくて愛おしいが、

自分の時間と行動を悪気もなく

ガンガン制限してくる存在でもある。

 

「愛しい娘に自分の時間を全て捧げます」

と言えるほど覚悟が決まっているわけでもない。

 

今は妊娠していることもあり、

子どもを生むこと、

生み育てることに伴うリスクの大きさを、

いつも考えてしまう。

自分が食べるものや自分の行動がいちいち胎児に影響を与える。

そんな日々が10ヶ月も続くなんて、

それを愛おしい日々と思えるほど精神も成熟していない。

いや、子どもがいること自体は喜ばしいのだが、

妊娠中や出産は何が起こるかわからない、

喜びと悲しみが常に隣り合わせのものだよね、

という気持ちが拭えない。

 

子どもをもつとか育てるとかいうことは

リスクまみれと言っても言い過ぎではないくらいに思うのだが、

それでもなお子どもをもちたいと思って、

子どもをもったのは何が背景かと考えると、

最終的に行き着いたのは結局自分の好奇心だった。

 

出産してみたい。

子どもを育ててみたい。

人が育っていく過程を共に経験してみたい。

 

こう書くと、

好奇心だけで子どもを産んで無責任だ

などという批判を受けそうだ。

しかし、真剣に考えてみて、

今のところ行き着くのはやっぱり好奇心である。

 

本の中には、著者が自分の母親になぜ自分を産んだのか、

ということを問いただしたという過去の記述がある。

 

自分が将来子どもに同じことを問われたら、

「私の好奇心です。」

と真面目にこたえる以外ない。

 

なんだか複雑な内容になってしまったが、

しかし子どもをもつ、育てるということに関して

自分の考えを深めたり言語化することに

とても力を貸してくれる本だった。

 

最後に、私(と夫)の好奇心で生まれてきた娘との今は、

成長を喜んだり、

自分の時間が削られることにイライラしたり、

一緒にひたすら歌を歌ったり、

夫と育児を押し付けあったり、

とにかく発見がある生活だ。

娘はどう思っているかは謎である。

 

出会えてよかった本だった。