母のこと

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先月頭に、母が息を引き取った。

一年半前に膵臓癌が見つかり、それからずっと闘病していた。

 

見つかった時点ですでに手術できる状態ではなく、

その後抗がん剤治療などもしながら、

他の臓器の機能障害に対する手術を

何度か繰り返したが、

基本的には一年半かけて

ゆっくりゆっくり

衰弱していった。

 

最後はもう本当に痩せに痩せ、

自力で動くことはおろか

喋ることもままならなくなり、

その姿を見ることが

一番辛かった。

 

だから息を引き取った時は、

心にずっしり重たいものを感じたけど、

これでお母さんも苦しみから解放されたかな。

と思うと同時に、

自分も少し楽になった感じがした。

 

大切な人の苦しんでいる姿を見るというのは

本当に辛いということを知った。

 

 

ところで、母は結構美人だった。

昔はそれが私にとってコンプレックスでもあった。

一緒にいたりするとだいたい

「お母さん綺麗ね!」

と言われる。

 

「お母さんに似て、なつみちゃんも綺麗ね!」

とは決してならない。

私は父似だ。

しかし、美人の遺伝子が少なくとも入っているはずだ

とか、

美人と非美人、生涯を通したらどっちが本当に幸せか

という持論をかなり真面目に打ち立て

自分を慰めるうちに、

いつからか気にならなくなった。

 

美人と非美人について真剣に考えるきっかけをくれた母。

偉大だ。

 

 

そんな母の死後まもなく、

今度は父方の祖母が亡くなった。

遠くに住んでいたから

そんなに頻繁に会うことはなかったが、

デパートの花屋で働きながら

自由奔放に

わがままに生きたらしい祖母。

昔から私の性格は

この祖母にそっくりだと言われていた。

 

 

何かの信仰にあついわけでもないのだが、

いつの頃からか毎晩寝る前に布団の中で

自分の先祖にその日無事に過ごせたことの

お礼をいう習慣がある。

 

先祖といっても、自分が知りうる故人ということで

父方母方のおじいちゃんで、

二人の顔を思い浮かべながら

 

「今日も無事に過ごせたよ。ありがとう。

明日もよろしくね。」

 

と、かなり簡単なお礼だ。

ついでに夫の先祖にもお礼をいう。

 

一瞬で終わるのだが、

9月以降はここに母と祖母が加わった。

ほんの少し、お礼にかける時間が長くなった。

 

 

一つだけ気になっていることがある。

母が息を引き取る数日前

突然一言私に言った。

 

「ボシテチョウ」

 

そう聞こえた。

 

母子手帳?」

 

「押してちょう?」

 

聞き直したが、

確認できなかった。

 

なんとなく「母子手帳」が有力だと思ったのだが、

母子手帳がどうしたのかはわからない。

 

何か遺言でも書いてあるのか

とも思ったが、

私が生まれた時の母子手帳

もうずっと私の手元にあるから

それはない。

 

母子手帳が最後に見たい

ということだったのだろうか。

 

もしかして

一緒に埋葬して欲しい

っていうことかな。

 

全くわからない。

 

 

いつでもどんな時でも

絶対に味方でいてくれた母。

私がこれからの人生やりたいことを聞いて

その手伝いができないことが何より残念だといってくれた母。

自分の子供としてより一人の人間として

色んな私の選択をいつも尊重してくれた母。

あまり群れたがらず

いつも毅然と、凛としていた母。

 

あちらの世があるのなら、

あちらの世で相変わらず

毅然と凛と、

楽しく過ごしていてほしいな。

 

こちらの世では相変わらずの

生活が続いているよ。

 

お母さんが冬に寝室で使ってた足元用のヒーター、

もらってくね〜!

布団乾燥機はすでにもらいました。

 

冬に向けた準備も順調である。