「ねぇ聞いて聞いて!」の傲慢さ。

長野でバルシューレ教室(ボール運動教室)をしている小柳です。

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先週から始まった、資格取得のために東京に通いつめる8日間。

今日でやっと最終日だが、夫も私もヘトヘトである。

毎朝、「あと◯日...あと◯日...」

と残日数を確認し合うのが日課であった。

 

家族全体の疲労が頂点に達した昨夜、事件が起きる。

 

義理母が持たせてくれた(そういえばあちらの疲労具合も確認せねば...)カツ丼と夏野菜の浅漬けを食べながら、何気なく日中の出来事を話し始めた私。

 

それを聞く夫の相槌は、

「へぇ〜!」

「あぁ〜、あるあるぅ〜!」

「そうだよね、そうだよねぇ〜」

 

字面にするとなかなか優秀だ。

 

しかしその言い方が、とにかく感に触るのである。人を小バカにするような、こうすればいいんでしょ的な、つまりわざとらしいのだ。

 

ただ、このような相槌が生まれたのには背景がある。

過去に私が話しを聞いて欲しいのに思ったように聞いてくれないということがあり、その際

「アドバイスが欲しいんじゃなくて、ただ聞いてくれればいいのに」

と不満を漏らして以来、時たま今回のような聞いてるよ聞いてるよ〜、こうやればいいんでしょ〜的な相槌砲が打ち込まれるようになった。

 

自分に余裕があるときは、

「出してきたな相槌砲〜」

で流せるのだが、

なんせ眠いし疲れているし余裕がない。

 

「むかつく。」

と一言言い放って、その後は鉄仮面状態だ。

(※私の怒った状態は我が家ではこう呼ばれる。何があっても無表情。問いかけには一切応じない状態。)

 

重苦しい食卓で、今度は娘が反撃を始めた。

食事の途中で机の上に足をのせ始めたのだ。

「下ろしなさい。」

下ろさない。

「下ろしなさい。」

下ろさない。

 

応じない娘の相手は鉄仮面だ。

早々に無視を決め込む。

構ってほしくて泣きながら抱っこをせがむ娘。

見兼ねた夫が娘に

「ママにごめんなさいしなさい。」

となだめる。

 

「ママにごめんなさいしなさい。」

 

「ママにごめんなさいしなさい。」

 

違う...

 

娘じゃなくてお前が引き金じゃぁぼけぇええええええ!

 

これを最後にモノに当たりたい衝動に乗っ取られた私は、机に置いてあった娘のスプーンを握りしめ、

「むかつくー!!!」

と言いながら拳を何度も机に叩きつけた。

 

びっくりする夫。

 

「ママ、スプーン机にトントン?」

喜んで真似したがる娘。

 

もう無理だ。

 

とりあえず席を離れる。

家事をする。

少しずつ冷静になる。

 

私は疲れている。

しかし、夫も疲れている。

私は話したい。

しかし、夫は聞きたいわけじゃない。

 

お風呂に入りながら、

「ねぇ、聞いて聞いて!」

の前置きだけでマシンガンのように話し始めることの強引さを反省した。

 

お腹いっぱいの相手に

「ねぇ、おいしいから食べて食べて!」

と相手の反応を待たずに口にモノを突っ込むようなものだ。

 

相手に聞く、聞かないの選択をする権利がもちろんある。

 

 

「ねぇ聞いて聞いて!」

という言葉の傲慢さたるや。

 

 

お風呂から上がり、机に座る夫に麦茶を差し出して、

「さっきはすみませんでした。話しを聞いてくらないことにムカつきました。しかし、話しを聞きたくないときもあると過去に言っていたことを思い出しました。今後は、ねぇ聞いて聞いて!を、ねぇ話したいことがあるんだけど、聞いてくれる?と、選択できるようにします。

これ、麦茶。どうぞ。」

 

と詫びた。

詫びながら、詫びる自分エライ。と自分の自尊心を必死に守った。

 

疲労を溜めるのは本当によくない。

 

今回の研修内容を骨の髄まで染み込ませて、生み出す対価を惜しみなく疲労回避に回せるくらいの価値にしよう。

家族の平和と心の安定のため、疲労回避に惜しみなく投資できるようにしよう。

 

そう誓い、研修参加の意味を改めて噛み締めた夜だった。