子どもの「できない」と大人の受け止め方

長野で幼児・小学生向けに運動教室をしている小柳です。

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幼児クラスの時間では、プログラムが思い通りにできず

子どもがお母さんのところに泣きついていく光景がよく見られる。

 

先日も、とある女の子が自分の思い通りに風船やボールを操れず、

教室の間2度3度と母親の元に行き、泣いていた。

 

お母さんは

「もう一回やってみればいいじゃん」

「そんなに泣くことないでしょう」

「最後までやってみなよ」

と、正確には覚えていないが、

こんなようなことを女の子に言っていた。

 

泣いている女の子を見ていた別のお母さんは、

「ああいう風に悔しい!ってなっているときはどうやって対応したらいいんでしょうね」

と、ポツンと言った。

 

教室主催側の私としては、

やっている子ができたりできなかったりするプログラムを提供することは理想だ。

完全にできないわけじゃなくて、たまにできる。

夢中で何度もやって、少しずつ身体が慣れていく。

気づいたらできることが増えてた。

そんな展開は理想だ。

 

そういう意味では、泣こうがわめこうが表現方法がどうであれ、

悔しさを感じているその子には、「いいね!」と思う。

しかしそのあとプログラムを投げ出しお母さんに飛びついていってしまう。

それはどうだろうか。

 

「悔しい!」という不快な感情が

その後快感を得るための原動力になるような働きかけができたら

悔しいと思ったその経験はより生かされると思う。

 

そのためには、

お母さんの元で泣く子に

「頑張って最後までやろう」

とかいうよりも、

「できなくて悔しかったね」

と、状況と感情を言葉で共有したあと、

「もう一回同じことやってみる?それとも得意な〇〇の方やってみる?」

と、同じことを続けてやることで

できない→できるになるプロセスを経験して快感を得るか、

できなかったことから一旦離れて、

もともと得意なことをやることで快感を得るか、

そういう選択肢を提示できたら、

「悔しい!」と思った経験が生かされるのではないか

と仮説を立てた。

 

今回は、そんな場面での対応をお母さんに任せたまま

「気持ちが落ち着いたらまたおいで」

と、関わることが少なかったが、

次回以降の教室で同場面に遭遇したら、

この仮説を試してみよう。